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宇都宮地方裁判所 平成3年(わ)224号 判決 1992年10月27日

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中三五〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和四四年八月ころ高校を中退し、同五一年ころ、岐阜県土岐市を拠点とする甲野組乙山会丙川組組員となり、同六二年ころ、甲野組二代目丁原会戊田会甲田組内乙野興業組長として独立し、平成二年一〇月ころ、右甲田組が二代目丁原会の直参となつたことで乙野興業も改称して、甲野組二代目丁原会甲田組丙山組組長となり、同市内で事務所を開いていた。被告人は、丁川会丙田一家戊原組の組長代行をしていたBとの間で個人的な舎弟となつていたが、同人が平成二年暮れころに所在不明となり、その際同組組長のA(以下、単に「A」ともいう。)が被告人にBの所在を問い合わせてきたことをきつかけとして、平成三年に入つたころから、岐阜市のA方に遊びに行くなどして同人と交際するようになつていた。

ところで、Aは、かつて高松刑務所で服役中にC(以下、単に「C」ともいう。)と知り合つて兄弟分となり、出所後は交際が途絶えていたが、平成二年春ころになつて、栃木県小山市で甲川興業乙原組の組長となつていたCとの間で、互いに栃木や岐阜に呼んで接待し合うなどして再び交際するようになつた。Aは、組員がほとんどおらず、また約五〇〇〇万円の負債を抱えて金員に窮していたこともあつて、その後Cに対して、何か儲け話はないかなどと盛んに相談を持ちかけるようになり、同人から、「宇都宮で金融、不動産関係の事務所を設けたらどうか。」などと言われて、平成三年一月に宇都宮市に赴き、Cの配下のDが居住している同市中戸祭一丁目のマンション「丁野ハイツ」一〇二号室に一か月程寝泊りしていたが、結局宇都宮市内の暴力団組長との間で話がつかず、計画倒れに終わり、無駄骨を折つた形で岐阜に帰ることとなつた。また、Aは、Cから産業廃棄物処理場の土地売買の仲介などの儲け話を聞き、岐阜周辺の暴力団戊山会の者たちに右儲け話を紹介するなどしたこともあつたが、これらの話も計画倒れに終わり、Aや同人から話を紹介された暴力団関係者は、Cに対し、その責任を追及するなどしていた。

Cは、栃木県下都賀郡藤岡町内で自転車組立工場や産業廃棄物処理業を営むとともに、Cの企業上の舎弟として三〇年来交際していたE(以下、単に「E」ともいう。)が、最近では事業も軌道に乗つてCと疎遠になり、また、かつてCと親しく交際していた同人の弟のF(以下、単に「F」ともいう。)もEと同様、Cと疎遠になつていたことで、面白からず思つていたが、先のとおりAに出した儲け話がいずれも計画倒れに終わつたことから、Aと組んでE兄弟から金を脅し取ることを考えるようになり、平成三年一月に開かれた宴席で、手伝いに来たGに出席したEの写真を撮らせるなどしていた。そして、そのころから同年三月ころにかけて、CがAに対し、E兄弟のことや、Fには金がないがEは金を持つていることなどを話したところ、Eを拉致して同人あるいはその身内の者から一億円を交付させるという話に発展したが、Eを拉致するについては、Cやその配下の者ではEに顔を知られているので都合が悪く、一方Aでは気が荒すぎるので傷害沙汰になりかねないとしてCが難色を示し、なお検討することとなつた。

そこで、Aは、被告人にEを拉致、監禁させることを考え、詳しい話はしないまま、同年三月二一日ころ、被告人を連れて小山市に赴き、同月二四日ころまで、Cが手配したビジネスホテルに宿泊しながら滞在し、その間、被告人をCに紹介して、一旦被告人とともに岐阜に戻つたが、その後、CとAは、Eの拉致、監禁を被告人に実行させることを話し合い、三月末ころ、Aが被告人にその話を持ちかけ、被告人もこれを引き受けた。一方Cは、二月下旬ころから、Eを監禁するため、企業上の舎弟であるHに空き家を探すよう指示し、同人はその従業員である前記Gにその旨指示して探させ、四月上旬ころに至つて、Gが知人のIから、空き家になつている宇都宮市《番地略》所在の同人方を使用させるとの承諾を取りつけ、Cにその旨連絡した。

そして、同年四月一八日から翌一九日にかけ、Aの指示を受けた被告人は、C方に赴き、改めて、CからもEの拉致、監禁を実行することを依頼されてこれを引き受け、CからEの写真を受け取るとともに、Cが指示したGの案内で前記空き家や「丁野ハイツ」一〇二号室を確認し、さらにCの配下の者の案内で、Eの仕事場である栃木県下都賀郡《番地略》所在の産業廃棄物処理場も確認して岐阜へ帰つた。その後、Cは、Hらに指示して、被告人らが使用する布団を右空き家に運び込ませ、また、被告人らが使う車を準備するよう指示した。なお、被告人が岐阜に帰つた直後、C、A、被告人の三者が電話で話をし、その際、取得する一億円の分配として、Aが五〇〇〇万円、Cが三〇〇〇万円、被告人が二〇〇〇万円との話も出たが、Aの取得分が多過ぎることで確定した話し合いまでには至らず、金員を取得した時点で改めて分配額を決めることとなつた。

被告人は、その後もC、Aと連絡を取り合い、五月一一日の夜に岐阜県を出発することとし、拉致に使用するための拳銃型ガススプレーをAから受け取るとともに、被告人自身が持つていた手錠なども道具として準備し、配下の若い衆三名を引き連れて翌一二日午前二時ころ前記丙山組事務所を出発し、同日午前七時半ころ小山市に着いた。その後、サウナで時間調整をし、若い衆をレストランで待機させておいて、午後二時半ころ被告人が一人でC方に赴き、Cから監禁実行中の食事代等として一〇万円をもらうとともに、同人と拉致、監禁の手順や、CがEの解放方の仲介役を装うことなどの打ち合わせをし、連絡のためのポケットベルを受け取つた。その際、被告人は、Cから「Jという男がEの弟の罪も背負つて服役しており、その服役中、弟はJの店や家族の面倒を見ると約束していながらその約束を守らない。Eの兄貴もこのことは知つている。弟はいい加減な奴で、金もないが、兄貴の方も責任あることだから、兄貴を拉致して、兄弟にけじめをつけさせる。」との具体的な話を聞いた。そして、被告人は、遅くともこの時点において、場合によつてはCがEの身体と引き換えに、FらEの身内に対して金銭を要求することがありうるものと認識した。その後、被告人は、途中で、軍手、ロープ、目隠しに使う包帯等を購入した上、若い衆とともに車で前記空き家に到着し、その日や翌日は、拉致に使用する道具を買つたり、観光したりして過ごし、一三日にGから同人がCの指示で準備したグロリアのキーを受け取り、翌一四日に同車を使用してEを拉致することとなつた。

同日午後四時ころ、被告人は若い衆三名とともに宇都宮を出発し、途中、シートベルト装着違反で交通切符を切られるというハプニングが発生したりしたものの、午後六時前後ころEのいる産業廃棄物処理場付近に到着した。同所には、Cから拉致状況を見届け、被告人らが検問にあつた時などには助けるよう指示された配下のK及びLが乗つた車も来ており、それぞれ別の場所に駐車し、Eが作業を終えるのを待つていたが、午後六時半ころ、作業を終えて車で帰り始めたEを見失つてしまい、再度Eの車を見付けて様子をうかがうなどしたが、結局この日の拉致は失敗に終つた。

被告人らは、翌一五日、前記グロリアから、Dに依頼して貸してもらつた同人の車に乗り替えて、同日午後五時半ころ廃棄物処理場に赴いたが、Eは風邪をひいて処理場近くにあるスナック「甲山」を経営しているM子方で休んでいたため、被告人らは「甲山」前に駐車してあるEの車の様子をうかがつていた。この日もCの指示を受けたKとLが来ていたが、被告人は、同人らと、Eが車に乗つて通りかかつた際に、被告人らが前方から、Kらが後方から二台の車でEの車を前後からはさみつけて同人が逃げられないようにする旨打ち合わせをし、Eが通るはずの道路の前方で待機しているうち、午後七時半ころになり、Eが車に乗つて「甲山」前から発進し、帰宅すべく被告人ら四名が待機している方へ向かつて進行してきた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  C及びAと共謀の上、E(当時五一歳)を拉致し、同人の安否を憂慮するその弟Fらの憂慮に乗じて同人らから金員を交付させようと企て、被告人において、平成三年五月一五日午後七時三〇分ころ、栃木県下都賀郡《番地略》スナック「甲山」北東約二六五メートル先路上で、E運転の普通貨物自動車を停止させ、やにわに同人の目にスプレー式ガスを吹きかけ、その両腕をつかんで同人を右自動車の運転席から引つ張り出して同自動車の後部座席中央に押し込み、その左右に情を知らない配下のN及びOを同乗させてEを車外に出られないようにし、同自動車を運転して同所から発進し、両手に手錠をかけるなどしてEを被告人らの支配下に置き、もつて、同人の安否を憂慮するFらの憂慮に乗じて同人らから金員を交付させる目的でEを略取し、さらに、同日午後九時ころ、同人を、目隠ししたまま、宇都宮市《番地略》所在のI方納屋二階まで連れ込み、Cらとのかねてからの打ち合わせどおり、「お宅の弟のためにJが苦しんでいる。兄貴として弟の不始末にけじめを付ける気はないか。」「宝くじ二本だ。」などと申し向けて、二億円の支払いを要求するかのような態度をとつた上、「誰かヤクザでケツを持つてくれる者はいないか。」と申し向けて計画どおり仲介者としてCの名前を出させ、Eを連れて公衆電話から小山市《番地略》所在のC方に電話させるなどして、仲介者を装つたCと交渉するふりをし、Cにおいて、翌一六日早朝、同県下都賀郡《番地略》に住むFに対し「今社長をさらつたという者から電話があつた。俺に仲に入つてくれと言つていた。」旨電話連絡してC方まで呼び出し、「兄貴がどうなつてもいいのか。金は作る気になりやできるんだ。」等と述べたほか、その後、電話で「犯人は、短期間のうちに作るつていうんだつたら一億でいいです、あくまで金貰わなくちや体は放さない、あとの保証はないと言つていた。最悪の場合は何かやるつてことかと聞いたら、御想像に任せますと、そうなるでしようと言つていた。」、「犯人から電話があつた。明日辺りは必ず金作るから社長の身柄は無事かと聞いたら、金をもらえば身柄はちやんと保証して放すと言つていた。」などと述べて、暗にEの身体の安全が大事であるからみのしろ金を準備するようFらに申し向け、かつ、被告人においても、C方で電話に出たFに対してCに調子を合わせた話をするなどして金員を要求し、もつて、Eの安否を憂慮するFらの憂慮に乗じ、その金員の交付を要求したが、翌一七日午後四時ころになつて警察が捜査を開始したことを察知したため、同日午後八時ころ、Eを安全な場所である宇都宮市古賀志町二〇六二番地先山林で解放し、

第二  右C、A、N、O及びPと共謀の上、前記のとおり、同月一五日午後七時三〇分ころ、前記「甲山」北東約二六五メートル先路上において、Eを前記自動車内に押し込み、被告人が運転して同所から発進し、Eを包帯等で目隠しして、同日午後九時ころ、前記I方納屋二階に連れ込み、同所において、N、O及びPの三名が交代で、包帯で目隠しをしたままのEの動静を絶えず監視し、片手錠をかけ、それをロープで柱につなぐなどして同所から逃亡できないようにし、さらに同月一七日午後六時ころ、右I方敷地内において、Eの両手首及び両足首をガムテープで緊縛して身動きができないようにした上、右自動車荷台に横臥させ、被告人が同自動車を運転して同所から発進し、前記のとおり、同日午後八時ころ、前記山林でEを解放するまでの間、同人を右自動車内あるいは右I方納屋二階から脱出することが不可能な状態に置き、もつて、Eを不法に監禁し

たものである。

(証拠の標目)《略》

(事実認定の補足説明)

一  本件の事実認定をするにあたり、注意すべきところは、犯行が周到な準備・計画に基づき、組織的に行われたものであるにもかかわらず、共犯者である被告人、C及びAにおいて、三者三様の供述をし、ともに自らの責任を軽減しようとする不自然な供述に終始していることである。すなわち、被告人及びCは、みのしろ金目的の誘拐であることを否認しており、Aは、監禁をも含めて全面的に公訴事実を否認している。そこで、まず、本件犯行の全体に関わつたCの犯行について検討し、その後、A及び被告人の各犯行について順次検討する。

二  Cの犯行について

1  Cは、捜査段階においてはみのしろ金目的の誘拐を認めていたものの、公判廷においては、AがEの身柄を取つて金を要求すると言つてきかないので、遠方に拉致されるよりも、自分の支配できる場所で拉致させた方が良いと考えてAの計画に協力したのであつて、最終的にはCが舎弟であるEのいわゆるケツを持つ(解決することに責任を持つ)ことを考えており、Fらから金を出させることは考えていなかつたかのような供述をしている。

2  そこでまず、C、A及び被告人の供述を除く証拠によつて、客観的に認められる事実から検討すると、Cは、平成三年二月ころから、配下の者に指示して、Eを拉致後に監禁するための空き家を探させ、これが見付かると被告人らが使用する布団を運び込ませたこと、四月中旬に被告人が来た際には、右空き家とEを拉致する場所である産業廃棄物処理場付近を配下の者に指示して案内させ、さらにその際配下の者が使用している丁野ハイツの部屋を使用させており、その後拉致の際に使用するための車を配下の者に調達させたこと、五月一二日に来た被告人に、昼食代や連絡用のポケットベルを手渡し、再び前記丁野ハイツの部屋を使用させたこと、Eを拉致する際には、自分の若い衆に見張りや案内をさせ、拉致後も適宜若い衆を通じて被告人に指示を与えるとともに、EやFらに対しては、被告人との仲介者を装つて金銭の受渡し等についてFらとやり取りをしていることが認められ、以上の経緯から見れば、Cは、Eの拉致及びみのしろ金の獲得を成功させるために積極的に関わつていることが明らかである。

ところで、そもそもCがEのケツを持つつもりがあり、Eらに金を払わせるつもりがなかつたのならば、何故にEらからの金銭取得を目的とすることが明らかで、かつ、Eに対する重大な危険を伴いかねない拉致行為を阻止せず、かえつて先に見たとおり積極的にこれに協力しているのか全く理解できないところ、この点についてCから納得できる理由は何ら説明されていない。しかも、Cは、Aに金を出さねばならないような筋合いはなく、Eが自分の舎弟であることを理由とする法廷供述も、いかにも不自然で信用できないところ、公判廷では自分がEのケツとして一億円要求されても支払うつもりはなかつたとも述べるなど、その供述内容は矛盾に満ちているという外ない。

このような事情からすると、Eのケツを持つつもりであり、Eらに金を払わせるつもりがなかつたというCの供述は信用できず、先に認定したところに照らし、CがEを拉致することを手段として金員を得ようとしていたことは明らかであるところ、C、A及び被告人の捜査段階における供述は、ほぼ一致して金員を獲得する目的があつたことを認め、特に右三者の間で金の分配の話まで出ていたこと(なお、この事実については、被告人が捜査終了後に弁護人に宛てて書いた書面の中でも自認されている。)を認めているのであつて、右客観的事情から窺われるところとあいまつて、Cが金銭取得目的を有していたことを認定するに十分である。

3  そこでさらに、金銭要求の具体的方法についてみると、関係各証拠によれば、Cは、Eが拉致されて被告人から電話が入るや直ちにFを呼び出し、被告人らとの共謀関係について隠した上で、一億円要求されている旨話していること、その際、Eの命が大事だから金を作つたほうがいいと言つたり、Fらがどれだけの金を出せるのかを聞き出そうとしたこと、払えなかつた場合にはCが立て替えるが、それは何年かかつても返せと言つていること、その後の電話でのやり取りにおいても、金は作つた方がよいと述べ、金の受渡しの際にFが下手な動きをしないよう牽制したりしていることなどの事実が認められ、これによれば、Cは、Eの安否を憂慮するFらの憂慮に乗じてFらから金員を取得するつもりで、仲介者を装つて暗にその旨要求したことが明らかである。

なお、Cは、FらがC方に行つた際や、その後のFとの電話でのやり取りにおいて、見せ金を作ればよいとか金を作る必要がないとも言つていることが認められ、一見矛盾した態度をとつているようにも見える。しかしながら、CとFの電話におけるやり取りを仔細に検討すると、Cは、当初金を作らなくてよいからともかく犯人と会うよう言うかと思えば、Eの身の安全については楽観できないとか、金ができるのなら作つておいた方がよいと矛盾したことを述べているところ、Fにおいて金を準備することが明らかになると、以後は金を準備する必要がないという言葉は出さず、犯人への金の引渡しの話が主となり、Fが下手な動きをしないよう牽制するとともに、警察へ発覚するような行動をとつていないかを遠回しに確認しており、警察が捜査に乗り出したことが判明してからは、金を払う必要はなかつたなどと再び言い出していることが認められる。右のような経緯や、先に認定した事情に照らすと、Cの言葉は真にFらが金を払う必要がないという趣旨に出たものではなく、Cが仲介者を装つていることを見抜いたFが、C方で「支払える金はない。Eが死ぬのも覚悟するが、その場合は犯人を殺してやる。」などと強い態度に出たことなどから、Fらに金を準備させると何らかの機会に捜査機関に発覚したりすることをおそれ、一旦はCが犯人に対して金を立替払いしたような形をとつて、後でEないしFらから金を要求することも二次的な策として考えていたものと理解できる。したがつて、CがFらの憂慮に乗じてFらから金員を取得する意図があつたという先の認定は左右されない。なお、この点に関するCの捜査段階における供述も、おおむね右客観的事情から認められるところと合致し、自然で納得できるものであり、十分信用できるのであつて、前記事情とあいまつてCにみのしろ金目的があつたと認めるに十分である。

三  Aの犯行について

1  Aは、捜査段階において犯行を自白していたものの、公判廷においては、Eを拉致する実行者として被告人をCに紹介したのは確かだが、その後被告人に対して計画への参加を止めるよう忠告したのであり、被告人はこの忠告を無視して勝手にCと犯行に及んだのであるから、自分は犯行については何ら関知しない、拳銃型ガススプレーを被告人の配下のQに渡したことはあるが、それは被告人が犯行に使うといけないと思つて、Qに捨ててもらうために渡したものであるなどと供述している。

2  そこで検討するに、被告人、C及びAの捜査段階における供述は、中には互いに責任を転嫁し合つたり、あるいは、捜査官が把握していない事実については必ずしも真実を述べていない点もあるなど、細部に至るまで全面的には信用できない部分もあるものの、大筋においては相互に合致し、先に検討したとおり、第三者の供述などから客観的に認められる事情にも沿い、十分信用できるところ、右各供述によれば、AとCとでEを拉致して金銭を要求するという計画を立て、Aは、細かな段取りについてはCと被告人の打ち合わせに任せていたものの、被告人がEを拉致し、Cが仲介を装つてEかその身内に対して金銭(みのしろ金)を要求することを認識していたことが認められ、公訴事実全体についての共謀がAにあつたと認めるに十分である。

なお、被告人が拳銃型ガススプレーを犯行に使用したいと言つてきているのに、被告人と同道していた配下のQに捨てるよう指示した上ガススプレーを手渡したというAの供述は、Aが犯行に加担するつもりがないのであれば、単にこの申し出を断ればすむのに、なぜそのような時に、Qに捨てさせなくてはならないのかなど、極めて不合理であつて到底信用できず、むしろ、ガススプレーを使うと良いという話はAから出たのであり、その後Aからガススプレーを手渡された旨の被告人の捜査段階での供述の方が内容も具体的で一連の経緯とも合致し信用できる。また、Aの弁解のように、犯行に使用するガススプレーを被告人に手渡しておきながら、同時に犯行を中止するよう忠告するとは到底考えられないことである。この点はむしろ、Aがガススプレーを被告人に渡した際、Aは「俺も行つた方が良いか。」と言い、他に「大丈夫か。」という言葉はあつたものの、犯行を止めろとの忠告はなかつたという被告人の捜査段階での供述の方が、当時の状況に合致していて合理的であり、信用することができる。したがつて、被告人のこの供述に反するAの公判廷での供述は、不合理で到底信用できない。

四  被告人の犯行について

1  被告人は、Cから言われていたのは、Fを拉致してだれかケツを持つ人間を出せと言えばCのことを出すはずだから、後はCが宇都宮に行き、中へ入つて話をまとめるということだけであり、CがFらに連絡するとは思つていなかつた旨捜査段階からほぼ一貫して供述し、特に平成三年六月一九日付検察官に対する供述調書(検二号)では、金の要求方法に関するCとの共謀内容につき、「当初のCとの話では、Eを解放することの引き替えということで金が動くということではなく、被告人がEを拉致して監禁しておいて、その弟とJのことでけじめをつけさせる約束をさせ、そのケツを持つ人間としてCの名前を言わせてCにケツを持つ人間になつてくれという名目で連絡し、Cがケツを持つということを言つて登場し、宇都宮に集まつて被告人とCとの間でやくざ同士の約束をしてCがケツを持つと確約し、そのことをEにもよく思い知らせてEを解放するということでCに引き渡すという話であり、解放のときに金が取引されるというのではなく、解放された後にCが責任を持つてEにけじめとしての金を出させるようにするということだつた。」と具体的に供述している。

2  そこでEを拉致する際の被告人の認識につき、まず、被告人の供述以外の情況証拠によつて認められる事実を検討するに、前掲各証拠によれば、次の点を指摘することができる。すなわち、<1>そもそもC及びAが本件を計画したのは、E自身の直接的な不都合を問題としたのではなく、Fの不義理を口実にしてEから金銭を脅し取ろうとしたものであり、被告人も、当初はその詳細を聞かされていなかつたものの、遅くとも平成三年五月一二日までには、こうした説明を受けているのであつて、このような状況からすれば、本件の解決の過程でFが登場することは、全く予想外のこととはいえないこと、<2>Eを拉致する以前に、被告人、C及びAの間で、Eを拉致して獲得する一億円をAが五〇〇〇万円、Cが三〇〇〇万円、被告人が二〇〇〇万円ずつ分ける旨の話が出たことがあり、また、被告人は、監禁を手伝わせた配下の者に対し、「お前らにも配当が渡る。」などと話しており、金の獲得が将来の問題になるのではなく、被告人が栃木県内にいる間に金の授受があると考えていたのではないかと窺われること、<3>被告人は、本件犯行が一億円の金銭取得を目的とすることを認識していたものであるが、E自身がそれだけの金を身についているわけではない以上、一億円という巨額の金員を早期かつ確実に得るためには、Eの身柄と引き換えに身内から金を出させるのが現実的と考えられること、<4>被告人は、身柄を拉致したEとの間で一億円の話が出され、同人が「女房やせがれに相談しないと無理な話だ。」として家族の介入を前提とする話を出した際、これを止めさせるような言動を取つておらず、その後も、金の手配はどうなつているか尋ねるEに対して、「大丈夫らしい。明日の昼ころできるらしい。」「金はあんたのせがれが持つてくるんだつてな。実弟も来るんだつてな。あの野郎、やる、やるつて威勢がいいんだつてな。」などと答えたり(Eの平成三年五月二三日付司法警察員に対する供述調書)、同人を解放する直前に、「おめえのおつかは血も涙もねえのか。親父の身体がどうなつかも分かんねえで警察なんかに連絡して。どこに行つても警察が張つている。こんなことで捕まつて新聞に出たんじや極道やつてけねえ。恐喝とかいうんなら恥ずかしくはないが、これじや恥ずかしい。」などと自らの行為がみのしろ金目的であることを前提とする言葉を発する(同人の同月一八日付司法警察員に対する供述調書等)など、明らかにみのしろ金目的を持つて行動していること、<5>被告人は、CがFを呼んでいたことを意外に思つたと供述しながらも、その後何度かCに電話をしており、Cと二人だけで電話連絡をしたことがあつたにもかかわらず、特にこれに異に唱えたような形跡はなく、引き続きみのしろ金を要求し、これを獲得するための行動に出ていたこと、<6>CとAの捜査段階の供述の中には、不十分ではあるが、被告人もFらからみのしろ金を要求することを知つていたとする部分があることなどの事情が認められる。

以上の事実からすると、本件においてEの身内が交渉に出てくることは容易に予想できただけでなく、被告人もそれを予想していたかのような行動をとつていたということができ、これに、被告人とみのしろ金目的を持つていたと認められるCが、本件犯行につきかなり綿密な打ち合わせをしていたことをも考え併せるならば、被告人はCから、Eの身内を通じて金員を取得するという説明を受けていたのではないかとの疑いを拭い去れないところであるが、他方、前掲各証拠の中にこの点を確実に裏付けるだけのものまではないことなどからすると、被告人にみのしろ金を要求するとの確定的な認識があつたと認定するには、いささか躊躇せざるをえない。しかしながら、そこまで断定できないにしても、少なくとも被告人は、遅くとも平成三年五月一二日以降は、Eを拉致した後に金員を獲得する方法についてはE側の内情に詳しいCに一切任せて、これに従うつもりであり、Eとの交渉の状況によつては、同人の安否を憂慮するFら家族を巻き込んで解決せざるをえない、すなわちFからEのみのしろ金を要求することになるとの認識を有した上で行動していたと認めるには十分である。

なお、被告人は、みのしろ金の受渡場所があらかじめ決められていなかつたことなどをもつて、被告人がみのしろ金目的を有しなかつたことの根拠であると述べているが、この点は、具体的な金員獲得の方法についてCに任せていたという前記認定と矛盾するものではない。また、先に認定したとおり、被告人は、Eを解放する直前に「みのしろ金目的誘拐では恥ずかしい。」旨述べているが、前後の文脈や現実に被告人がみのしろ金要求に加担していることなどに照らすと、右発言の趣旨は「みのしろ金目的誘拐」との罪名で警察に捕まり、報道されてこれが公になることが恥ずかしいというもの以上に出るものではないと解される。

3  以上認定したところをふまえて、被告人の供述の信用性について付言する。

まず、Cとの共謀の内容が、身内を入れずにEをCに引き渡し、後でEに金を出させることだつたとする、被告人の前記平成三年六月一九日付検察官に対する供述調書(検二号)での供述及びこれに沿う被告人の法廷供述については、以上認定したところに加えて、先にもみたように、そもそもCとAは、当初から、Eの身内の憂慮に乗じて金員を取得しようという計画だつたのであり、共謀に際し、Cが犯行の重要部分を分担する被告人に対して、ことさら右計画と異なる話をせねばならない理由が窺えないこと、まして、被告人のいうような計画が真に存在したのであれば、CやAとしてもみのしろ金目的を否定する有力な事情として捜査段階でその旨供述するのが自然であるところ、右両名の供述調書中にはこの点につき被告人と合致するような供述は一切存在しないことなどの事情に照らし、にわかに信用しがたい。

そして、被告人は、右検察官に対する供述を除くと、高額な現金を取得するにつき、みのしろ金要求以外の具体的な手段についての認識があつたと積極的に述べているわけではなく、要するに拉致すればCが何とかすると思つていたという程度のあいまいな供述をするに留まつているのであるが、本件が長期にわたり計画された犯行であること及び被告人の役割の重要性に照らして、被告人が金員取得の方法について全く思いを巡らすことがなく、その程度のあいまいな認識に留まつていたとは到底考えられないし、また、被告人は、捜査の過程において、Aの名前や関与の程度、Cとの連絡方法など重要な事実につき秘匿したり、捜査の進展に伴つて新たな追及がされるまでは容易に自供していないようなところがあり、公判廷においても、従前弁護人に対してさえ認めていたみのしろ金目的に関わる重要事実、例えば、一億円の分け方について話がなされたことなどをさして理由もないまま覆していることなどをも考慮すると、被告人がEを拉致する際に、みのしろ金を要求するつもりは全くなかつたとする捜査段階及び公判廷における被告人の供述も、にわかには信用し難いというほかない。

(累犯前科)

被告人は、昭和六一年四月一八日岐阜地方裁判所大垣支部で銃砲刀剣類所持等取締法違反及び火薬類取締法違反の各罪により懲役一年六月に処せられ、同六二年九月一八日に右刑の執行を受け終つたものであつて、右事実は検察事務官作成の前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為のうち、みのしろ金目的拐取の点は刑法六〇条、二二五条の二第一項に、拐取者みのしろ金要求の点は同法六〇条、二二五条の二第二項に、判示第二の所為は同法六〇条、二二〇条一項にそれぞれ該当するところ、判示第一のみのしろ金目的拐取と拐取者みのしろ金要求との間には手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により犯情の重い拐取者みのしろ金要求の罪の刑で処断することとし、判示第一の罪について所定刑中有期懲役刑を選択し、前記の前科があるので同法五六条一項、五七条により、各罪について(ただし、判示第一の罪については同法一四条の制限内で)それぞれ再犯の加重をし、判示第一の罪については、被拐取者を安全なる場所に解放したものであるから同法二二八条の二、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中三五〇日を右刑に算入することとする。

(量刑の理由)

本件は、いずれも暴力団組長である被告人らが、金を得る目的でEを誘拐し、拉致後Eの弟であるFらに対して一億円を要求したという事案であるが、被告人は、岐阜県という遠方にいながら、Aらから犯行への協力を要請されるや、何らかの利益を得られると思つて直ちにこれを了承し、やすやすとこのような凶悪、重大な犯行に加わつたのであり、この間の経緯については何ら酌むべき事情が認められない。

また、犯行態様は、監禁に使用する空き家などを確保し、実行犯の被告人がわざわざ岐阜から監禁場所や拉致現場の下見にまで出向き、拉致のための車やガススプレーを用意するなど長期にわたつて周到に準備・計画をした上、被告人において、配下の者三人を引き連れて岐阜から来県し、そのような計画があることなどつゆ知らぬEの動静をCの配下とともにひそかに監視し、Eが人気のない夜の路上を一人で帰宅しようとする状況になるや、直ちにEの車を挟み込んで停止させ、ガススプレーを吹き付けて拉致したのであつて、Eにとつては到底防ぎようのない犯行であつたということができる。しかも、その後窓の目張りなどをして外から監禁が分からないようにした納屋にEを連れ込み、目隠しの上片手錠をかけ、これをロープで柱に結び付けて逃げられないようにした上で丸二日間にわたつて満足に排尿さえできないような形で監禁し、その間Eの身の安全を心配してC方に来たFらに対して、仲介者を装つたCが被告人と交渉したふりをした上、暗に一億円出すように要求し、被告人もこれに同調して、Cからの連絡を受けながら現金授受の場所を探すなどしていたのであり、犯行態様は、極めて大胆かつ狡猾であつて、暴力団組長という地位を利用し、配下の者多数を巻き込んで行つた組織的で大がかりなものというべきである。

Eらには、被告人らに拉致されねばならない理由も、まして被告人らから一億円の支払いを要求されねばならない理由も全くなかつたにもかかわらず、Eはいきなり拉致された上、目隠しをされたまま宇都宮の空き家まで連れて行かれ、名前も明かさぬ被告人らから監禁され続け、解放されるまでの間、殺されるのではないかという恐怖を味わわされたのであり、また、Fら身内の者も、拉致された理由さえはつきり分からぬまま、身も知らぬ犯人がEを殺害するのではないかとの恐怖にさいなまれ、警察に連絡した後も、その恐怖にかられて一億円を銀行から借りるなど具体的な対応策も講じていたのであり、本件犯行が被害者らに対して与えた精神的苦痛には筆舌に尽くし難いものがあつたと認められ、さらに、暴力団関係者によるこのような重大な犯行が社会に与えた衝撃は甚大であり、市民に多大な不安感を与えたものである。

被告人は、昭和五一年ころから暴力団員として活動し始め、同五二年には覚せい剤取締法違反罪等により懲役三年六月の、同六一年には銃砲刀剣類所持等取締法違反罪等により懲役一年六月の各実刑判決を受けて服役したことがあるにもかかわらず、またも、本件のごとき重大な犯罪をやすやすと行つただけでなく、法廷においても、「ヤクザ同士がケジメをつける話であつてヤクザの世界では正当な話し合いである。」と述べるなど、暴力団における価値観に染まり、法規範を軽視する姿勢が顕著である。

また、みのしろ金目的拐取ないし拐取者みのしろ金要求等の罪の法定刑が他の拐取罪に比べて格段に重くなつている理由は、この種犯行の模倣性が強く、被拐取者の生命身体の危険を伴うからであると解されるところ、近時年少者だけでなく成人を誘拐して多額の金銭を要求するという事件が多発しているという状況に照らしても、一般予防の見地を軽視することはできないものというべきである。

以上検討してきた事情によれば、本件犯行は極めて悪質で、被告人の責任は厳しく問われなければならない。

ところで、検察官は、被告人に対して懲役三年の求刑をしており、右求刑意見は公益の代表者であり、かつ刑事手続の訴追側当事者でもある検察官の意見として十分尊重すべきものと当裁判所も考えるものである。しかしながら、本件においては、被告人に有利な事情、すなわち、被告人が拉致行為の時点で確定的にみのしろ金目的を有していたとまでは認められないこと、本件犯行を中心的に計画したのはAとCであり、被告人は右両名に誘われて本件に加わつた側面もあること、警察が捜査していることを知つてEを安全な場所に解放しており、金銭も獲得していないこと、被害者側に対して慰謝の措置を取るため調停を申し入れていることなどの事情を最大限に斟酌したとしても、先に検討した事情、殊に本件が被害者の身の安全に対する不安を利用して金銭を取得しようとした計画的、組織的で大がかりな犯行であつて、犯行に関与した多数の者の中で、被告人は、犯行を中心になつて押し進めた三人のうちの一人であり、情を知らない配下の者を監禁の共犯者にするなどした上、犯行の重要部分を進んで実行に移していることやその他この種事案における量刑の先例等をも考慮すると、懲役三年という求刑どおりの刑を科することでは軽きに過ぎるとの感を否定できない。そこで、当裁判所は、本件においては、被告人に対して求刑を上回る刑を科することもやむを得ないと考え、主文のとおり被告人を懲役四年に処することとした次第である。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 久保真人 裁判官 樋口 直 裁判官 小林宏司)

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